タイ舞踊、日本留学、学校法人設立・・・節目の「薦め」が人生を決めてきた!
「タイ舞踊は私の『光』。タイ舞踊がなければ日本との出会いも、これほどたくさんの人との出会いもなかった」。
タイ国文部省認定舞踊学校ITDAを1995年に設立し、バンコクと東京を行き来しながら、文化交流に奔走するソムシー花岡さん(45)。タイ舞踊の指導者としてはもちろん、日本の皇族の方々に踊りを披露するなど、タイを代表する踊り手でもある。ソムシーさんに日本とのかかわりや活動への思いをインタビューした。
山田長政で知られるタイ南部、ナコンシータマラート出身。木登りが得意で男の子みたいだったソムシーさん。心配した父親が礼儀や美しさを身に付けさせようと舞踊学校への進学を薦めた。難しい試験を突破し、12歳で舞踊学校へ入学したものの、「当初は踊りはさっぱりわからないし先生も厳しかった」と振り返る。礼儀を身に付けていくうちに繊細で美しい仕草も習得し、22歳でタイ国立舞踊学校を卒業。
人生の転機となった日本語との出会いはこの頃で、バンコクでマクドナルドを食べていた時。隣に座っていた女性グループの会話が聞こえ、強烈にその語感が「かわいい」と感じた。何語か初めはわからなかったが、幼少時代にテレビで見ていたキャンディキャンディの歌を思い出し、日本語だと思い当たる。「私もかわいい人になりたい」と憧れて、日本語学校に通うように。そんな時、学校の先生から日本への留学を薦められ、3年間の留学生活を送る。初めて寿司を食べた時の衝撃は忘れられない。タイではもともと生ものを食べる習慣がない。先輩に連れられて初めて食べた時「お腹を壊すと心配しながら、口の中いっぱいに詰め込んだけど、気持ちが悪くって涙が出そうだった」。唐辛子と違い、ツーンと一瞬鼻を刺すようなわさびの辛さにも驚いたという。
タイに帰国後、タイ舞踊はもちろん、日本語もできるソムシーさんに日本人会の奥さん達から「タイ舞踊を教えてほしい」との依頼があった。生徒数は10人、20人…とみるみる増え、ついに「もっと広い場所でいろんな人に教えたい」と自前の教室を持つことに。タイ舞踊を教えることはもちろん、生徒と話をするのが大好きで、とにかく楽しんで教室を続けていた。そんな折、タイ文部省に勤めるおじの薦めがあって、1995年に学校法人を取得し、ITDAを設立。現在、ラップラオに本校があり、2000年に東京都千代田区に日本分校を開設、さらに今年、日・タイ文化交流センター「タイ文化教室」をスクムビットに開き、文化交流の活動をさらに活発化させている。
ソムシーさんは人生の節目節目で周りの人から様々な『薦め』を受けてきた。タイ舞踊を始める時も、日本に留学する時も、ITDAを立ち上げる時もそうだった。「言われたことを素直に聞き入れ、困難があっても夢中になってやることが大切」。そんな性格が今のソムシーさんを形作ってきたのかもしれない。
東日本大震災の時、東京の自宅で地震の恐怖を味わった。タイに戻ってきてから、「タイ人も日本を応援している」という思いを伝えようと、ベンチャシリ公園で舞踊公演を行うなどし、義援金を集めた。寄付だけでなく、日本を励ますたくさんの寄せ書きも集まったという。
ソムシーさんの教室に10年以上通う生徒さんもおり、ソムシーさんと生徒、知り合った日本人との人間関係は深い。「今後はタイと日本の文化交流の後継者を育てていきたい」と語る。
なお、ITDAでは現在、タイ洪水の義援金を集めている。問い合わせはスクムビット校(℡02・229・5533)へ。講座については9面の広告を参照で。
2011年12月5日 タイ自由ランド掲載
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